コンラート1世マゾヴィエツキ
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コンラート1世マゾヴィエツキ (Konrad I Mazowiecki、1187年? - 1247年)は、ヴロツワフ公(在位:1241年-1243年)。第6代マゾヴィエ公。ポーランド王の一人に数えられる。
カジミェシュ2世と妃ヘレナ・ズノイェムスカ(pl:Helena znojemska)の子として生まれた。レシェック1世の同母弟にあたる。1194年の父の死後、母ヘレナの元で育った。1205年、兄とともにキエフ大公ロマン・ムスティスラーヴィチ軍をザヴィコストの戦い(en:Battle of Zawichost)で破る大勝利を挙げた。この戦いでロマンは戦死し、コンラートはルーシ人の王女アガフィア(pl:Agafia Światosławówna)を娶った。1209年以降、幾度となく異教のままのプルーセンへ遠征するが、失敗を重ねる。1226年には度重なる公領の反乱に困難を感じ、プルーセン征服のためドイツ騎士団を正式に招聘した。これをきっかけに、神聖ローマ皇帝とローマ教皇の後ろ盾を得た騎士団がバルト海沿岸へ植民することになる。
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